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中組祝鳩車(なかぐみ しゅくきゅうしゃ)

山車および山車組データ

建造
大正3年(1914)
代表彫刻
  • 壇箱:「天の岩戸」(初代彫常)
  • 脇障子:「神武東征」(初代彫常)
  • 前山蟇股:「七福神」(初代彫常)
  • 前山懸魚:「昇鳩降鳩」(初代彫常)
  • 持送り:「波に千鳥」(初代彫常)
  • 蹴込:「波に千鳥」(初代彫常)
  • 大幕:緋羅紗地に波涛の刺繍(池上秀畝 下絵)
  • 追幕:緋羅紗地に蘭陵王と火焔太鼓の刺繍(間瀬淋一 下絵)
  • 水引:濃緑地に群鵆の刺繍(池上秀畝 下絵)
人形
  • 前棚人形:「太平楽」(六代目玉屋庄兵衛)
  • 上山人形:「蘭陵王」(七代目玉屋庄兵衛)

中組祝鳩車正面写真

山車全体写真

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法被・かんばん

  • 中組祝鳩車法被(後ろ)
  • 中組祝鳩車法被(前)

手拭

中組祝鳩車手拭

補足解説

下半田の氏神である業葉神社より寺社奉行に提出した古文書の写しによれば、元文4年(1739)にすでに三輌の山車が存在していた。
宝暦5年(1755)編纂された尾陽村々祭礼集に「下半田村、八幡宮祭禮八月十五日、警固笠鉾二本、母衣五つ、山車三輌一輌は獅子頭太鼓乗せ、一輌は唐子、一輌は恵比寿祭村中より社前まで引渡し、右社同村七良平支配」とある。
このうち「獅子頭太鼓乗せ」の一輌が神遊会(現中組)の前進と思われる。その後中組の山車は、安政年間(1854-9年)と明治5年(1872)に改造等が行われている。
現在の山車は大正3年(1914)に8月に地元の宮大工石堂喜一らによって総造り替されものである。

山車彫刻は、当時東本願寺の改築工事で全国に名をはせた、半田の生んだ名人初代彫常こと新美常次郎の手により檀箱や脇障子に雄大な「古事記の神話絵巻」が彫刻され、構成美に優れた彫常の最高傑作として誇れるものです。
彫刻材料に黒檀、紫檀、欅等の唐木がふんだんに使用され、台輪、置台輪に使用されている欅、黒檀の材質の良さとその大きさは、他の山車と比べて群を抜いている。

大幕、水引の刺繍の下絵は日本画の名門四鵆条派の流れをくむ池上秀畝の筆により大幕は「波涛」を水引は「群鵆」の刺繍を施し、追幕の刺繍の下絵は地元の日本画家の間瀬淋一の筆により「蘭陵王と火焔太鼓」の刺繍が施されている。

からくり人形は、雅楽演奏により演舞する前棚人形の「太平楽」で大正15年、六代目玉屋庄兵衛の作である。
上山人形の「蘭陵王」は七代目玉屋庄兵衛晩年の名作で昭和57年に作られたものである。

中組祝鳩車の名の由来は、山車の前山懸魚の彫刻「昇鳩降鳩」にちなんでいる。

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