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彫刻

半田の山車は、欅・紫檀・鉄刀木等の唐木の白木彫刻によって飾られている。その題材は、龍・唐獅子・牡丹・仙人・山海経・日本神話・歴史・人物・花・動物等多種多様で、諏訪の立川一門、名古屋の彫長一門(早瀬長兵衛)・瀬川一門(瀬川治助)、地元の彫常(新美常次郎)一門等が手掛けた。

立川一門

立川一門代表彫刻

立川一門は、18世紀頃から諏訪に居を置き各地の社寺の建築や彫刻を手掛けた。初代富棟は、江戸において、幕府御用達建築彫刻師立川小兵衛富房の元で修業し、明和5年(1768)、諏訪に帰り仕事をはじめた。安永9年(1780)、諏訪大社秋宮拝幣殿を手掛け、文化元年(1804)、浅間神社(現、静岡市)の建築工事に息子富昌を始め多数の弟子とともに加わり、嘉永年間(1848~1854)、完了した。2代目立川和四郎冨昌は、天保2年(1782)に富棟の長男として生まれた、富昌は、長男富重(3代目和四郎)、次男富種(専四郎)、長女富の夫常蔵昌敬などの弟子とともに諏訪大社上社宮拝幣殿、豊川稲荷など多くの社寺を手掛けた。立川一門の山車彫刻は、各地にあり特に、半田市内の多くの山車を今も飾っている。

彫常一門

彫常一門代表彫刻

知多地方の山車彫刻は、その多くが、彫常一門によって彫られた。初代彫常(新美常次郎)は、明治9年(1876)半田村に生まれた。明治42年34歳の時、京都東本願寺の改築工事に同僚と共に参加した。その後、彼は独立して名古屋において初代彫常として店を構えた。数年後、彫常は半田の前明山(現半田市本町)に移り、彫師として活動を始めた。

明治38年亀崎中切組の力神車が大店坂で大破損した。この時、修業中の彫常は、彫刻の修理に当たり、立川流の彫刻に触れ強い影響を受けた。その後、多くの山車彫刻を手掛けるが、立川流の技法の影響を受けたと思われる彫刻が多数ある。

初代彫常は、岩田冬根(岩田新之助)、二代目彫常(新美茂登司)など多数の門人がいて、各地方の社寺や山車彫刻を手掛けた。岸本観治は、現在も半田で活躍している。

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