東組宮本車
山車および山車組データ
建造
元治2年(1864)
旧車は文化10年(1813)建造
代表彫刻
- 壇箱:「龍に虎」(瀬川治助重光)
- 脇障子:「獅子の谷落とし」(瀬川治助重光)
- 蹴込:「亀群舞」(初代彫常)
- 蟇股:「鵺退治」(瀬川治助重光)
- 持送り:「唐草」(作者不明)
- 懸魚:「親子鷹と松」(瀬川治助重光)
- 四本柱:堆朱の「昇龍降龍」(早瀬長兵衛)
- 前山太平鰭:「金鳥玉兎」(竹内久一)
幕
- 大幕:緋羅紗地に宝珠の金刺繍
- 水引:白地に七五三縄の金刺繍
- 追幕:緋羅紗地に七曜星の金刺繍と撚糸(白水色・濃紺)の刺繍
人形
- 前棚人形:三番叟(日下浄雲)
- 上山人形:湯取神事(荒川宗太郎)
山車全体写真
彫刻
法被・看板
手拭
人形
演目
湯取り神事
製作者(人形師)
荒川宗太郎
製作年
昭和7年
由緒
弘化5年(1848)の祭礼図にも湯立て神事のからくりが描かれているので、このころにはすでに演じられていた
所作・動き解説
神官が御幣で釜を清める所作を3~4回繰り返した後、巫女が玉串を振りお湯花を散らす御湯立ての所作となる。その際紙ふぶきによって湯玉の飛び散る様を表す。
からくり機構解説
神官、巫女の人形とも上山にそれぞれ斜めに取り付けられた内樋上を移動し手、足、頭等がそれぞれ中段からの糸使いにより操作される。釜の底には穴が開いておりその下に回転する羽根が設けられ紙ふぶきを飛ばす仕組みになっている。
口上文
鶴も来て舞う 亀崎の
春の潮干の御祭礼
曳き出す山車のそが中に
氏子の人の 罪とがを
拂い清める三番叟
御神湯神楽の有難や
宮本車の尊しや
宮本車の尊しや
(↑の謡で始まりからくりが演じられる)
補足解説
宮本車の旧車は、元治元年(1864)に碧南市鶴ヶ崎へ譲渡された。虹梁の龍は、文政5年(1822)名古屋の藩御用彫師早瀬長兵衛(6代目吉政と思われる)に依頼し彫らせたものである。この山車は、「尾張名所図会」に描かれている山車と思われる。現在の山車は、元治2年(1865)に建造された。
亀崎のすべての山車は、神社の境内において、前山人形と上山人形の舞を奉納する。東組は、宮本車つまり氏神を地域内に有する山車組であるため、他地区と同じく前山において、かくれ三人遣い三番叟を操る。上山人形は、「湯取り神事」である。尾張名所図会小治田之真清水に、5輌の山車の先頭を行く山車の上山に、神官と巫女と思われる二体の人形が描かれている。現在の人形は、昭和7年荒川宗太郎の製作である。
彫刻は、元治2年(1865)瀬川治助重光作の壇箱『龍と虎』、脇障子「獅子の谷落とし」、前山蟇股「鵺退治」、大正11年初代彫常(新美常次郎)作の蹴込「群亀舞」、早瀬長兵衛(8代目)作の前山四本柱は、堆朱で線彫りの「昇龍降龍」等である。
大幕は、緋羅紗に宝珠の金糸刺繍、追幕は、緋羅紗に七曜星の金糸刺繍と撚糸(白、水色、濃紺)の刺繍、水引は、白羅紗に七五三の注連縄の刺繍、吹流しの頭の部分は、江戸時代の尾張藩付家老犬山城主成瀬隼人正より十万石の格式を東組の山車に持たせたと伝えられている。