岩滑新田地区

神明社祭礼

2024年4月13日(土)、14日(日)

神明社祭礼

神明社の祭礼に平井組神明車と奥組旭車の2台が曳き出されます。岩滑新田地区は戸数が少ないにもかかわらず2台の山車を保有するところに、地区民の並々ならぬ祭りへの意欲を感じさせます。昭和51年まで途絶えていた山車を復活。曳き初めの夕方から提灯で飾った山車を曳き廻します。本日(日曜日)は神明社から秋葉社、津島社を経て、神子、三番叟、神楽が奉納されます。山車はいずれも大正年間の建造で、彫刻は新美常次郎の手によるものです。

「半田市観光ホームページ」より

見どころ

山車2輌による町内曳き廻し拡大する

山車2輌による町内曳き廻し

岩滑新田の自然溢れる風景の中、山車の通ることのできる幅いっぱいの道を駆け抜け、威勢よく楫がきられます。また、土曜日の夕方には2輌の山車ともが提灯で飾られ曳き廻されます(宵宮)。

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三番叟

岩滑新田は、平井組と奥組の両組が前山で3人のかくれ遣いによる三番叟を奉納します。本日(日曜日)に、その年の先番が先に三番叟を奉納し、そのあと後番が奉納します。平井組の三番叟(六代目玉屋庄平衛より購入)は翁顔で、奥組の三番叟は若者顔となっているのも注目です。(何でかというのは勉強不足でわかりません。ルーツが違うからでしょうか。)

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神子舞

境内に建てられた舞台上で、平井組の地区内から選ばれた神子が囃子方の奏でる神楽に合わせて神子舞を奉納します。奥組は、平井組の神子舞奉納と同時に拝殿の前で神楽を奉納します。

神社

神明社

岩滑新田の氏神は平和町にある神明社である。半田町史によると、岩滑新田の開発は延宝9年(1681)であり、当初は、山の神を折戸山に祀ったが元禄4年(1691)公儀の許しを得て天照大神を祭祀したという。明和9年(1772)本社を改造し、弘化2年(1845)に一畝が除地となった。社殿を拡大し、大正7年旧社格村社となった。

「半田市誌 祭礼民俗篇」より

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山車組

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