亀崎地区

潮干(しおひ)祭

2024年5月3日(水・祝)、4日(木・祝)
◎国重要無形民俗文化財 ◎愛知県有形民俗文化財

潮干(しおひ)祭

潮干祭の起源は明らかではありませんが、言い伝えによれば、応仁・文明(15世紀後半)の頃、この地に来着の武士たちが神社付近(寺山)に移住し、人口の増加に伴い祭りを行わんとし、神官の指図により荷車様の台車に笹竹を立て、神社神紋の幕を張り、囃子を入れて町内を曳きまわしたのが起源とされ、その後、町の発展に伴い現在の如く、東組・石橋組・中切組・田中組・西組の5組による山車祭礼の形態が出来上がったと考えられています。江戸時代には、藩主尾張藩附家老犬山城主成瀬隼人正より十万石大名格式の旗印・裏金一文字の陣笠・陣羽織・立付袴・金切割の采配を賜り、近江長浜の祭礼程の賑わいをみせたといわれます。

祭りは、海より祭神が上陸したという伝説にちなみ、渡御・還御の神輿に供奉する五輌の山車を干潮の浜辺に曳き下ろし、寸分の間隔で横列に並べ、再び陸へと曳き上げる勇壮な祭りです。

最近の専門家の調査により、300年以上もの長きにわたって祭りの風格・伝統がしっかりと守り伝えられてきたことが認められ、平成18年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

見どころ

海浜への曳き下ろし拡大する

海浜への曳き下ろし

場所:亀崎海浜公園
時間:3日 AM10:30頃、4日 PM2:00頃

潮の退いた波打ち際に向かって一気に曳き下ろされる山車。若者は腰まで水に浸かって綱を曳きます。
湿った砂に車輪(ゴマ)が埋まって立ち往生してしまった山車が、祭りびとの奮闘の末再び動き出すと観客からは大きな拍手喝采が湧き起こります。
亀崎潮干祭最大の見どころです。

中切組力神拡大する

中切組力神

潮干祭の各山車は欅・紫檀・黒檀・鉄刀木といった銘木を材料とする精緻で力感溢れる白木彫刻で埋め尽くされていますが、どれも江戸後期から明治にかけて活躍した一流の彫刻流派や名匠の手による傑作名作ばかりです。
特に諏訪立川流の最高傑作と称される力神車の壇箱彫刻「力神」は必見です。

田中組傀儡師拡大する

田中組傀儡師

潮干祭の各山車の前部と上部ではそれぞれ精巧なからくり人形が華麗に舞い踊ります。
祭礼にふさわしい神事的な演目から逆立ち・綾渡りなどの妙技、浦島太郎や平家物語を題材にしたストーリー仕立ての演目まで、そのバリエーションは実に多彩です。
特に神楽車の上山人形「傀儡師」は竹田からくりの唯一の残存例として貴重なものです。

神社

神前(かみさき)神社

創建年代は不詳ですが、社伝によれば、東征の途中伊勢から海を渡ってこの地に立ち寄った神武天皇を里人が小船に桟橋を架けて出迎えたことから、以来この地を「神嵜(亀崎の地名の由来とされる)」・上陸地点を「天神洲(現在の洲の崎)」と称し、その後同地に社を建ててお祀りしたのが同社の起源とされています。

その後慶長14年(1609)に風波の被害を受けにくい現在の地に遷座されました。
江戸時代(後半)には「神嵜天神」、「亀崎神明」と呼ばれていましたが、後に亀崎神社と改め、明治4年郷社に定められ、明治18年2月、神前神社と改称、同年7月、県社に列せられました。

ph_kamisakijinja_kamezaki拡大する GoogleMap

尾張三社

潮干祭におけるお旅所となっている「尾張三社」は、素戔嗚尊(すさのおのみこと):津島神社、日本武尊(やまとたけるのみこと):熱田神宮、天火明命(あめのほあかりのみこと):真清田神社の三神を祭神としています。

言い伝えによれば、文政6年(1823)6月に当地の海岸に津島神社の御神符が漂着し、これを穢すまいと海に戻したが2日後に再び漂着。亀崎の里人は、これは不思議なことであると漂着した地を埋め立て、一小社を営み奉祀し、75日間昼夜御神楽を奉納したのが起源とされています。その後、熱田神宮と真清田神社の御符を迎えて各小社を営み三社を並べ祀って現在の尾張三社となりました。現在の社殿は慶応元年(1865)に建てられたものです。

なお、尾張三社創建以前の潮干祭では、当地北側の「西車屋敷」と呼ばれた場所に御旅所がありました。

ph_owarisansya_kamezaki拡大する GoogleMap

山車組

このページの先頭へ