下半田地区

業葉神社、山之神社祭礼

2024年4月20日(土)、21日(日)

業葉神社、山之神社祭礼

下半田地区は、古くから醸造業や海運業が盛んであり、祭礼の歴史も古く元文4年(1739)の寺社奉行に提出された文書には既に山車が存在していると記載されていています。
この文章によると、下半田村八幡宮祭礼において神輿神幸(みこししんこう)と警固役の山車の曳き回しが行われています。

その後文政5年(1822)9月に同じく業葉神社より寺社奉行に提出された由緒書では、祭礼の内容が一層充実され宵祭りの御神幸の儀式を中心に山車、三番叟、子供神子舞、獅子舞、笹踊り、俄狂言(にわかきょうげん)などの芸能も奉納されていたようです。
これらの文章により現在の下半田地区の祭礼の様式である業葉神社の御神体が神輿(みこし)にて村内をめぐる神幸(しんこう)を行いその後を神幸先神社地区の山車を先行に全ての山車が加わり神輿を警固していく祭礼神事の形態がかなり早い時期から完成されていたことがわかります。

祭礼には北組唐子車・中組祝鳩車・東組山王車・南組護王車の4輌の山車が曳き出されます。
各組の誇る山車は和四郎や彫常などの精緻な彫刻や景文や秀畝などの豪華な大幕・水引・追幕で華麗に飾られ、前棚・上山に玉屋庄兵衛や隅田仁兵衛のからくり人形を乗せ、酒・酢の香りの漂う町並み、下町の古い町並み、半田運河周辺を曳き廻され街を祭り色に染めるのです。
宵の頃、各組の山車は、上山を高く掲げ提灯をともします。その数は、1輌につき約200個(本来は365個)といわれ、まるで山車が闇の世界に蘇ったようになります。

見どころ

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山車曳き込み・曳き出し

場所:山之神社参道
時間:土曜日19:00/20:30頃
日曜日13:00/15:30頃

山之神社からの曳きこみ/曳き降しは一番の見所でうまく曳き降すにはS字の参道を連続する楫操作に一瞬の遅速も許されない神技的な名技が演じられ、楫のうまさには観客の拍手を呼びます。

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神輿渡御(中村組)

場所:業葉神社~山之神社
時間:土曜日18:30頃~19:00頃
日曜日15:30頃~17:00頃

「御発輦」神輿の渡御、山車は神輿の警固として続きます。神輿渡御は中村組の担当です。神輿の歴史は山車以上に古く祭礼が始まったのと同時期(元和元年1614頃)に作られその後何度と改造が重ねられ文化13年(1816)現在の神輿が新造されました。
平成15年半田市有形民俗文化財に指定されています。

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からくり上演

場所:業葉神社/山之神社
時間:土曜日14:00~業葉神社
日曜日13:30~山之神社

各山車の前棚・上山でからくり人形が上演されます。

三番叟の隠れ使い
太平楽・采振り・巫女舞の糸からくり
肩車・蘭稜王の離れからくりです。

神社

業葉神社(なりはじんじゃ/通称八幡さん)

祭神:応神天皇
配祀:仲哀天皇、神功皇后、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、天照大神
境内神社:金刀比羅社、船玉社、津嶋社、松尾社、秋葉社、子安社
例祭:4月15、16日

社伝によれば、当神社は山城国男山八幡宮を勧請し、古来より八幡宮と尊称していたが、神宝の古面裏書に「業葉天神」と記されていたことから、本国神名帳にある従三位業葉天神であることを知り、天保8年(1837)11月、官許を得て改称した。
このことは、当神社の所蔵する棟札からもうかがえる。すなわち、寛文3年(1663)から文化12年(1815)までの10枚の棟札には、「八幡宮」とあり、天保10年(1839)以降の棟札には、「業葉神社」とある。
明治5年に「村社は一村一社に限る」との達により、無格社となったが(住吉神社が村社となった)明治15年村社に列せられた。

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山ノ神社

祭神:大山祇命
例祭:11月7日

山之神(やまのかみ)と言うと、民間信仰では多産豊饒を象徴する女性神と言われていますが、祭神によると、山之神社の祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)です。
大山祇命とは伊弉諾尊(伊邪那岐命いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(伊邪那美命いざなみのみこと)の子供で山を支配する神様、酒造りの祖神、武士からは武門の守護神、戦いの神として崇拝されてきました。

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山車組

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