西成岩地区
成石神社例祭
2024年4月13日(土)、14日(日)
西成岩地区の祭礼は、西組敬神車と彦洲組日之出車の二輌の山車の町内曳きと神社における神事を中心に行われる。昔から本郷と呼ばれるエリアからなる西組と枝郷である彦洲をエリアとする彦洲組のその規模に差のある変則的な二組により構成されています。祭礼日は旧来10月15日に執り行われていましたが、明治時代に4月15日に変更されたと言われ、現在では4月中旬の土、日曜日(15・16日を越えない)になっています。
地内には、平安時代の仏性寺伝説と徳川家康と縁の文明16年(1484)創建の天竜山常楽寺があり、その門前に宮本車である西組敬神車の蔵が建つ、古い歴史に育まれた地域である。
山車曳きは成石神社を中心に地区内に10社ある末社や秋葉社を山車がめぐるように行われる。成石神社では前棚の人形や上山のからくり人形の奉納、神殿では巫女の舞が奉納され、日曜日には氏子の奉納した市内最大規模の餅投げが行われ、境内はあふれんばかりの賑わいとなる。そして夕暮れ前に二輌の山車が高台の神社から曳き降ろされ、薄暮れの中を楽しい思い出とともにそれぞれの鞘に戻ります。
見どころ
山車の曳き廻し
時間・場所:土曜・日曜 地区内
西成岩地区の山車の曳き廻しの大きな特色は、曲がりくねった狭隘な坂道を巧みに上り下りするところにあり、最近でこそ建替えられた家の後退により徐々にその道幅は広がっていますが、家の軒と山車の高欄が触れ合うばかりの所が何ヶ所も難所として待ち構えていて前後の梶方が力と呼吸を合わせ巧みに通り抜けていく様は誠に見事であります。
本祭りの成石神社
場所:成石神社
時間:日曜日 午後2時から5時
拝殿での神事の後、山車の前壇における三番そう、巫女の舞の奉納、そして敬神車によるからくり人形「鵺」の奉納があります。この人形は9代玉屋庄兵衛による創作人形で平家物語に題材をとり、鵺という怪獣を弓で射って退治する場面を琵琶の演奏と謡で上演します。からくり上演の後午後4時半ころからの餅投げがこれまたスケールが大きく、その投げられる餅の量と人の数は半田第一と言われています。
曳き分れ
場所:成石神社参道
時間:日曜日 午後5時30分
本祭り終了後、山車の下降時の神社急坂の曳き降ろしの様もまた見事です。二両の山車がお互いに力を合わせ(後綱につかまって)降ろし、紙吹雪にて名残を惜しみつつ別れの儀式を行う様は、誠に絵になる祭り風景であります。
神社
成石神社
尾張国知多郡誌(田中重策編輯)によると成石神社は、「成岩村字狐塚ニ在リ境内五百六十四坪天穂尊大己貴尊小彦名命ヲ合祀ス近世八幡大明神ヲ神殿トス(尾張誌)、創建詳ナラス本村旧八幡社ニ座アリ一ハ字宮廻間一ハ字南瀬古ニ在リ明治五年氏子互ニ其奉仰スル所ノ八幡社ヲ以テ本国帳所載ノ従二位成石天神トシ争ヒ決セス糠田県命シテ其神体ヲ合セ神殿ヲ新造シテ之ヲ今地ニ移シ改称ス九月郷社ニ列セラル祭日十月十五日境内社弐(天神社・熊野社)氏子八百八十八戸アリ」とある。また、成岩町史によるとその後明治四十二年に現在地に移され、改めて郷社となっている。半田市内に神社は二十ヶ所あるが郷社はここのみである。神社の創建は永禄以前といわれているが、はっきりしたことはわからない。
祭神は天穂日尊を中心に少彦名命、大己貴命、誉田別命、素盞雄命、日本武命の六柱である。「熱田舊記」によると、日本武尊が東征の折、功績のあった土師の臣をこの地に封じた。土師の臣は遠祖天穂日命を守護神として祭り、この地を開いたといわれている。
「半田市誌 祭礼民俗編」より