石橋組青龍車
山車および山車組データ
建造
明治24年(1891)
旧車は宝暦6年(1756)建造
代表彫刻
- 壇箱:「風伯神・雷電神」(竹内久一)
- 蹴込:「牡丹と石橋」(竹内久一)
- 持送り:「波」(八代目 彫長)
- 台輪木鼻:「獏」(八代目 彫長)
- 脇障子:「日本武尊・須佐之男命」(伊藤則光)
- 懸魚:「子持龍」(彫常)
- 蟇股:「七福神、恵比寿大黒布袋」(彫常)
- 前山四本柱:七宝焼の前棚四本柱(川口文左衛門)
幕
- 大幕:紺地に波と青龍金糸刺繍
- 水引:朱雀の縫いつぶし
- 追幕:緋羅紗地に「五獄眞形図」
人形
- 前棚人形:布さらし(竹田源吉 竹田からくり)
- 上山人形:唐子遊び(鬼頭二三)
山車全体写真
彫刻
法被・看板
手拭
人形
演目
唐子遊び(逆立ち)
製作者(人形師)
鬼頭二三
製作年
1842年
からくり人形にまつわるエピソード等
唐子遊び(逆立ち)は長らく使用されず途絶えていたが、蔵に保存されていた人形を発見し、昭和48年(1973年)に石橋組組員によって復元された。現在の人形は平成元年に新調された。
上演ストーリー
2体の唐子が蓮台を廻し、蓮台上で1体の唐子が片手で逆立ちを行い、もう一方の手で摺鉦を叩く
所作・動き解説
2体の唐子が蓮台を廻し、蓮台上で1体の唐子が片手で逆立ちを行い、もう一方の手で摺鉦を叩く
からくり機構解説
蓮台を廻し2体の唐子は糸からくりであり、逆立ち・摺鉦を叩く蓮台上の唐子は指金を用い遠隔操作する離れからくりとなっている。
口上文
青龍車に 遊ぶ唐子のさま見ても げにおもしろの 今日の祭りや
人形囃子の構成
笛、大太鼓、付太鼓
補足解説
石橋組青龍車の創建年代は、定かではない。弘化年間刊行の「尾張名所図会・小治田の真清水」には、上山に「唐子遊び」のからくり人形を、前山に「布ざらし」のからくり人形を飾った青龍車が描かれている。
「唐子遊び」は、天保12年(1841)鬼頭二三により製作され、2体の唐子が蓮台を図し、蓮台上で1体の唐子が逆立ちを行う離れからくりである。このからくりは、長く途絶えていたが昭和48年石橋組組員によって復元された。「布ざらし」は、弘化2年(1845)竹田源吉により製作され、越後獅子の一場面を演じる糸からくりである。
現在の山車は、文化13年(1816)建造の旧車を他地区へ譲渡し明治24年に建造された。
彫刻には、明治24年、8代目彫長早瀬長兵衛(木龍堂)が彫った持送り「波」、台輪の木鼻がある。
彫長は、江戸時代6代目早瀬長兵衛吉政の時から尾張藩御用達彫師として藩の仕事を手懸けた。8代目元兵衛(木龍堂)の弟子には、初代彫常(新美常次郎)や明治39年脇障子「日本武尊、須佐之男命」を手懸けた伊藤則光がいた。壇箱「風伯神雷電神」と蹴込「牡丹と石橋(ぼたんとしゃっきょう)」は、明治時代の近代彫刻科であり東京美術学校教授である竹内久一の作である。前山蟇股「七福神、恵比寿大黒、布袋」、太瓶鰭「神功皇后」、前山懸魚「子持龍」は、初代彫常(新見常次郎)の作である。
大幕は、紺地に波と龍の金刺繍である。以前は、白地であったが、平成元年旧山車の大幕を復元した。追幕は、緋羅紗地に梵語の詩文刺繍と金糸の駒取り繍。
前山四本柱は、明治24年川口門左衛門作の七宝焼きである。