中切組力神車
山車および山車組データ
建造
現車:文政9年(1826)
旧車は不明
代表彫刻
- 壇箱:「海棠に親子鶏 力神」(立川和四郎冨昌)
- 蹴込:「牡丹に乱獅子(透かし彫り)」(立川和四郎冨昌)
- 脇障子:「張子房乗龍 黄石公馬上」(立川和四郎冨昌)
- 持送り:「立波に千鳥(浮き彫り)」(立川和四郎冨昌)
- 蟇股:「(前)子持龍、(内側奥)梅に唐子人形と犬の遊び」(立川和四郎冨昌)
- 懸魚:梅福仙人ー鳳凰に乗る(立川和四郎冨昌)
幕
- 大幕:巌・竹に虎 巌・松に虎(従五位下 越前守岸駒の下絵 天保5年)
- 追幕:緋羅紗地に翁の面刺繍(熱田神宮大宮司 千秋季雄の書(下絵) 文政10年)
- 水引:羅紗地に青色濃淡の刺繍と薄茶色濃淡の龍文様の縫いつぶし(従五位下 越越前守岸駒の下絵 天保5年)
- 吹流し:上部に白線、下部に桐・鳳凰の刺繍
人形
- 前棚人形:猩々(面かぶり)(五代目玉屋庄兵衛)
- 上山人形:浦島(面かぶり)(六代目玉屋庄兵衛)
山車全体写真
彫刻
法被・看板
手拭
人形
演目
浦島
製作者(人形師)
六代目玉屋庄兵衛
製作年
大正13(1924)年
からくり人形にまつわるエピソード等
浦島以前は全く別の肩車をする唐子を乗せていた。
上演ストーリー
謡曲「浦島」の芝居
亀に乗った浦島が乙姫から玉手箱を受け取り、玉手箱を開けると煙が出てお爺さんに変身する、皆さんご存知のストーリー。
所作・動き解説
浦島は亀に乗り左右へ動く。その後奥の大蛤より乙姫が玉手箱を持って現れ、お互いの距離を調整し玉手箱の受け渡しを行う。箱を受け取った浦島は箱を開け、煙と共にお爺さんに変身し、腰を屈めて手の平で腰を叩く。
その後、再び若い浦島に戻り「万歳」をして祝い舞い納める。
からくり機構解説
浦島は翁の面を胸に隠しており、糸により面を被ったり外したりできるようになっている。
玉手箱の受け渡しの為、手首は可動式になっている。
口上文
(長唄)
亀崎や 月影慕う鯛に蛸、鰈も河豚も出汐の。波路に通う浦島が。
(謡)
四海の並み静かにて 波の鼓声澄む折からに 誠に妙なる御声をい出し
容顔美麗の乙姫は 光も輝く玉手箱を捧げ 忽然と現れ出給ふ
凡そ千年の鶴は 万歳楽と謡たり また萬代の池の亀は
甲に三曲を供えたり
(長唄)
うつつ白波 幾夜か恋に なれし情けも今では辛や
独り寝のほんに思えば さりとはさりとは 昔恋しき 波まくら
(謡)
天下泰平 国土安穏と祈念申し 千秋万歳の喜びの舞を
一舞舞おう 万歳楽 万歳楽 万歳楽
人形囃子の構成
篠笛、大笛、附太鼓、大太鼓、三味線
長唄「浦島」、謡曲「翁」を組み合わせ、ストーリーを展開させる。
補足解説
中切組力神車の創建年代は定かではないが、現在の山車は、文政年間に諏訪の立川一門が彫刻を手懸け、ほぼ現在の形になった。この時の記録として、「山車彫刻仕用帳并金銀請取留」が、中切組に保存されている。これによれば、文政10年(1827)3月、2代目立川和四郎冨昌と冨昌の長女冨の夫である常蔵昌敬に発注し、総費用104両2分と祝儀6両2分合計111両で完成したことが記されている。
力神車には、2代目立川和四郎冨昌作の、蹴込「牡丹に乱獅子」、持送り「立浪に千鳥」、壇箱「海棠に親子鶏・力神」、脇障子「張子房乗龍・黄石公馬上」等の彫刻が入っている。
亀崎地区のすべての山車は、神社の境内において、前山人形と上山人形の舞を奉納する。力神車の前山では、猩々を舞う。猩々とは、能の曲名である。元来、中国の伝説を演じたものである。安政年間(1854~1859)5代目玉屋庄兵衛が製作した能装束の人形が、後ろ向きになった瞬間猩々の面を付け前を向き乱を舞い能の一場面を演じる。上山人形は、大正13年 6代目玉屋庄兵衛製作の浦島太郎の話を演じる面かぶりである。尾張名所図会小治田之真清水に描かれている力神車の上山には、2体の唐子を飾っている。このからくり人形は肩車をし、上の人形が梅の木の枝に宙吊りになったということである。
大幕は、越前守岸駒の下絵である。向かって左側は、巌・竹に虎 右側は巌・松に虎、後幕は松に虎の刺繍である。追幕は、緋羅紗に続日本後紀巻15の和歌と翁の面刺繍、水引は羅紗地に青色濃淡の地繍と、薄茶色濃淡の龍文様の縫いつぶし。吹き流しは、上部に白線、下部に桐、鳳凰の刺繍。