北組唐子車
山車および山車組データ
建造
弘化3年(1846)
新調
大正12年(1923)3月11日
代表彫刻
- 壇箱:「三韓征伐宝物受取りの図」(初代彫常)
- 脇障子:「須佐之男命 日本武尊」(初代彫常)
- 持送り:「角つなぎ」(初代彫常)
- 懸魚:「西王母 龍乗り」(初代彫常)
- 前山太平鰭:「唐松に貘一対」(初代彫常)
- 上山太平鰭:「麒麟」(初代彫常)
幕
- 大幕:緋羅紗地の無地・斜め井桁に北と桔梗の裏地
- 追幕:緋羅紗地に鳳凰・雲・桐の刺繍
- 水引:濃緑羅紗地に飛鷺の刺繍(岡本亮彦下絵)
彫金
- 仕様書記述 純銀150kg(杉浦正太郎 錺師)
山車全体写真
彫刻
法被・看板
手拭
補足解説
上半田の祭礼は、住吉神社の例祭として、行われてきた。「半田町史」によれば、「寛政の頃下半田は山車を作り、文化の頃岩滑亦之を作り、上半田は宮池を利用して同時の頃津島に倣ひ舟祭とせしが其後南組は山車に改め北組は依然舟祭なりしも、嘉永5年より南北共に舟及車の両個と為し以て今日に至れり、」とあり、古くから舟祭りと山車を伴う祭りであったようである。
舟は、「ちんとろ舟」と呼ばれ、舟上において子供三番叟の舞を住吉神社に奉納する。
北組唐子車は、弘化3年(1846)建造され、大正11年東馬場(現・成岩東組旭車)へ譲渡した。現在の山車は、大正12年に新調したものである。彫刻は、初代彫常(新美常次郎)作の壇箱「三韓征伐宝物受取り」、蹴込「唐獅子に手まり」、脇障子「神功皇后」等である。特に、蹴込は、下半田北組の蹴込と同様籠彫りを施し、初代彫常の代表作の一つである。旧車には、諏訪の立川和四郎冨昌作の壇箱「唐子遊びと鶏」、脇障子「鉄拐仙人・蟇仙人」等の彫刻を付けていた。現在も成岩東組旭車を飾っており、唐子車の名は、旧車の壇箱に由来する。
大幕は、緋羅紗の無地である。追幕は、緋羅紗地に鳳凰・雲・桐の金刺繍に金襴の縁取り、水引は、濃緑地に飛鷺の刺繍が施されている。山車の各所にある金物は、すべて純銀で、仕様書によれば、重量約40貫(約150kg)であるという。