東組旭車
山車および山車組データ
建造
大正13年(1924)
代表彫刻
- 壇箱:「唐子遊びと鶏」(立川和四郎冨昌)
- 脇障子:「鉄拐仙人・蟇仙人」(立川和四郎冨昌)
- 持送り:「龍」(初代彫常)
- 太平鰭:「神功皇后」(初代彫常)
- 蹴込:「川中島」(初代彫常)
- 蟇股:「恵比寿・大黒」(初代彫常)
- 懸魚:「鶴の巣篭り」(初代彫常)
幕
- 大幕:緋羅紗地に三玉の亀の刺繍
- 追幕:緋羅紗地に波に太陽の金銀刺繍
- 水引:緑地に鶴の刺繍
山車全体写真
彫刻
法被・看板
手拭
補足解説
大正11年より上半田北組より山車の譲渡を受け、以後祭礼に山車を加えることとなった。しかし、上半田北組の旧車は弘化3年(1846)の建造であるため、その後まもなく立川和四郎冨昌の壇箱彫刻「唐子遊びと鶏」、脇障子彫刻「鉄拐仙人・蟇仙人」等 数点をはずし、改造した車体にそれらを取り付けた。その後更に初代彫常こと新美常次郎によって前山蟇股の「恵比寿・大黒」、持送りの「龍」、蹴込の「川中島」などが追加され、充実していった。普通山車の前山の屋根は二手先ときょうで桁を支えるが、旧上半田北組唐子車が一手先であったのであろうか、当旭車も一手先で受けているため、四本柱の間口は広くとれるものの、やや脇障子の幅が狭まる。しかし一方では前面の蟇股が広くとれて前山を引きたたせる。また、尾垂木にも彫刻を施したり、台輪の前方も木鼻に加工するなど、各種の彫刻が巧みに調和している。
前山懸魚の「鶴の巣篭り」や前山紅梁の龍の浮彫りは肉厚のある重厚な彫りで、初代彫常の中でも傑作の一つである。
諏訪の立川和四郎富重は甥の常蔵昌敬とともに何度も来半しているが、弘化3年(1846)には上半田北組の唐子車と南組福神車に彫刻を入れている。富重と富昌は共同の作が多いが、当旭車の場合は、壇箱が富昌、また脇障子が昌敬によって彫られた可能性が強い。
また、上山高欄は欄間彫刻で有名な富山県井波町の第一人者、南部白雲の彫刻で、「松に鶴」、「波に亀」が彫られているが、唐松や波の技法に高欄彫刻の特色があって興味深い。
大幕には緋羅紗地に「三玉の亀」の刺繍。後幕は金銀糸による「旭車」の刺繍、追幕は緋羅紗地に「太陽と波」の刺繍、水引は緑地に白鶴の刺繍がそれぞれ施されている。