南組南車
山車および山車組データ
建造
宝暦2年(1752)
改造
寛政9年(1797)、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和14年(1939)
代表彫刻
- 壇箱:「馬師皇と龍」(立川和四郎冨昌)
- 太平束:「力神」(立川和四郎冨昌)
- 脇障子:「松と鷹」「柘榴」(瀬川治助重光)
- 蹴込:「五人囃子」(初代彫常)
- 持送り:「力神」(初代彫常)
- 蟇股:「日本武尊・唐子と鶏」(瀬川治助重光、初代彫常)
- 懸魚:「費長房」(初代彫常)
幕
- 大幕:緋羅紗地の無地
- 追幕:緋羅紗地に昇竜・雲の金刺繍
- 水引:白羅紗地に龍の刺繍
人形
- 前棚人形:三番叟
山車全体写真
彫刻
法被・看板
手拭
補足解説
成岩南組「南車」は、後方妻台輪の内側の墨書によれば、宝暦2年(1752)建造、寛政9年(1797)、文化6年(1809)、明治14年、昭和14年(1939)再建となっているが、これが山車全体の新造なのか、部分的な改造なのか、その程度を知ることは難しい。
大幕は猩々緋で、水引はベージュの下地に龍の刺繍が施されている。後幕には「南連中」の文字が金糸で刺繍され、これらの幕の箱書に「文政四年己六月」の墨書がある。これは当時大阪大丸呉服店で五十両を投じて作ったという伝承が残されている。
壇箱彫刻「馬師皇と龍」は裏面に「立川内匠富昌彫刻」の銘があり、前山太瓶束の力神とともに富昌の作品である。富昌は少なくとも文政・天保の2回にわたって当地方に逗留しており、これは天保期の作品と推定される。また、脇障子の「松に鷹」「猿に柘榴」をはじめ前山懸魚「費長房」等、数多くの瀬川重光の彫刻があり、これらは箱書から嘉永4年(1851)のものであると思われる。さらに大正3年(1914)に持送りの力神、大正9年に蹴込みの「五人囃子」を彫常が彫っている。
宝暦2年(1752)建造の山車は恐らく乙川の宝暦型に近いものであったと推定されるが武豊町東大高の山車が寛政の頃の建造といわれるから、現在の形に近いものであったことも考えられる。少なくとも文化6年(1809)には創建から50年余り経過しており、鶴ヶ崎型に近いものが再建されたと思われる。以後昭和14年の改造まで山車の本体に改造が加えられていないと思われるので、現在の彫刻は鶴ヶ崎型の山車に付けられたものと考えてよいだろう。昭和14年の改造は、前山はそのままで、長さと高さを一回り大きく改造したのではなかろうか。