南組護王車

山車および山車組データ

建造

明治34年(1901) 江原新助

完成

明治41年(1908) (彫刻 初代彫常)

代表彫刻

  • 壇箱:「護王の夢物語」(初代彫常)
  • 脇障子:「太平記 稲村崎の奇跡 新田義貞」「太平記 白桜十時詩 児島高徳」(初代彫常)
  • 持送り:「力人」(初代彫常)
  • 蟇股:「千羽雀」(初代彫常)
  • 懸魚:「王子蕎」(初代彫常)
  • 蹴込:「一笑の図」(2代目彫常 新美茂登司)

  • 大幕:緋羅紗 金糸で編んだ亀の水引
  • 追幕:五色の几帳
  • 水引:紺羅紗に鶴の群衆の刺繍(織田杏斎 下絵)

人形

  • 前棚人形:「巫女の舞」(六代玉屋庄兵衛)
  • 上山人形:二福神【恵比寿・大黒天・宝船】(九代玉屋庄兵衛)
    130年の時代を経て平成23年春復元

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山車全体写真

南組護王車(みなみぐみ ごおうしゃ) 正面正面
南組護王車(みなみぐみ ごおうしゃ) 左斜め前左斜め前
南組護王車(みなみぐみ ごおうしゃ) 左横左横
南組護王車(みなみぐみ ごおうしゃ) 後ろ後ろ
南組護王車(みなみぐみ ごおうしゃ) 右横右横
南組護王車(みなみぐみ ごおうしゃ) 右斜め前右斜め前

彫刻

横長表示手高欄(左)
横長表示手高欄(右)
横長表示前山

法被・看板

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南組護王車(みなみぐみ ごおうしゃ) 法被拡大する

手拭

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人形

ギャラリー

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演目

二福神(大黒天・恵比寿天と宝船)

製作者(人形師)

九代玉屋庄兵衛

製作年

平成23年3月26日入魂式 初披露

所有の変遷(譲渡を受けた先、時期など)

売却譲渡先:美浜町布土 上村組(明治14年)

由緒

祭礼の起源は不明です。古文書で元文四年(1739)に半田村から寺社奉行に差し出された書類に、三台の山車が存在したことが書かれています。文書の写しが(業葉神社)神社に保存されています。
「八幡宮祭礼八月十五日警固笠鉾弐本、母衣五つ、山車三輌、一輌は、獅子頭太鼓を乗せ、一輌は唐子、一輌はゑびす乗せ、村中より社前迄引渡、右社同村七郎平支配」「ゑびす」は南組の山車であり。その後、明治14年に布土村の上組に山車と共に、二福神からくり人形も売却しました。
そして、平成23年に九代 玉屋庄兵衛氏によって復元新調致しました。

からくり人形にまつわるエピソード等

100年間休演していましたが、九代玉屋庄兵衛さんの手によって、見事に復元いたしました。えびすさんと大黒さんの大変おめでたい二福神の人形です。恵比寿天が、鯛をつり、大黒天が、宝袋を見つけだし、うちでのこずちで宝袋をたたくと宝の船が飛び出します。
音曲は、篠笛の人間国宝、寶 山左衛門さんの飛騨物語、第3話春祭りです。

上演ストーリー

恵比寿天が釣りをして、大黒天が宝を探します~ 恵比寿が大きな鯛を吊り上げ大喜び、それを見た大黒が益々真剣に宝を探します。すると大きな宝の袋を見つけます。
大黒が打ち出の小槌で宝袋を叩くと、袋が開き中から宝船が出てきます。大黒も恵比寿も大喜び、宝船の帆が上がると共に紙吹雪と宝銭が飛び出します。宝船はクルクルと回り最高潮、すると宝船がたたみ上がり宝袋に戻り奥へと戻ります。最後に大黒天と恵比寿天が丁寧にお辞儀をして終わります。

所作・動き解説

大黒天・恵比寿天 あやつり各2名
両人形とも同じ動きが出来ます。頭は、上下左右と斜め、両手両足関節で曲がり腰も前方に曲がります
宝袋 左右に開閉します。
宝船 船の前後が上に折れ曲がり 帆が伸びる
あやつり3名
ーーーーー
合計7名

人形囃子の構成

■曲目:寶 山左衛門さんの飛騨物語、第3話春祭り 代神楽
■楽器:篠笛 大太鼓 小太鼓 鐘 鼓

補足解説

下半田業葉神社の祭礼に元文四年(1739)に山車3輌を曳いていたことは、寺社奉行に差し出された古文書文に保存されている。そのうち上山に「恵比寿」を乗せていたのが、この護王車の前身である。その後、嘉永年間に旧護王車を建造した。彫刻は、立川和四郎富重の作で嘉永五年(1852)に完成した。明治14年(1881)に布土上村の上組に譲渡し完成のでの間は、亀崎石橋組より譲り受けていましたが完成後、協和砂子組に譲渡しています。
明治34年(1901)阿久比大松の宮大工「江原新助氏」の手により新造したのが現車の護王車であります。優美な彫刻満載の初代彫常「新美常次郎」作の代表的な山車です。代表的な彫刻は、壇箱の「護王の夢物語」と持ち送りの「力人」です。旧車の立川和四郎富重作を彫常流に再現し見事な作品となっています。そして、脇障子は、新田義貞「太平記の稲村ヶ崎の奇跡」と、「後醍醐天皇の院の桜の幹に児島高徳が書いた白桜十字詩」であります。全体の特長としては、大幕に刺繍は無く金糸で編んだ亀の水引を取り付けています。

完成から百年を迎え百年を記念し平成十九年(2007)に、水引幕、織田杏斉画伯の原画を忠実に復元し全ての幕を新調致しました。そして、前棚人形の巫女に合わせ前山格天井に雅楽楽器の彫刻を入れました。後ろ姿は女性美を感じさせ、五色の几帳が優雅で趣のある山車に見せています。山車全体を見渡すと、ひとこと、「綺麗」と誰もが口にします。前棚からくり人形は、六代目玉屋庄兵衛作の「巫女舞人形」を乗せています。前車の上山からくり人形は「恵比寿大黒天」でありましが、譲渡のため130年間休演していましたが九代玉屋庄兵衛氏により「恵比寿天・大黒天・宝船」を平成23年(2011)春に新調復元いたしました。その後、平成の大改修として平成29年(2017)9月に台輪一式、兜金を始め金具一式、護摩隠し(波千鳥)、置き台輪と脇障子裏の柱隠しには(網代)の彫刻を施しました。
下駄箱には桐に蛙と蜻蛉の彫刻を施しました。壇箱彫刻ほかの彫刻も老朽のため傷んでいましたが全て修復しました。最後に山格天井に彫刻を入れました。上山からくり人形が大黒天と恵比寿天ですので残りの毘沙門・弁天・福禄寿・寿老人・布袋を入れ七福神のめでたい山車となりました。

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